地下書庫巡礼記

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山尾悠子『飛ぶ孔雀』の感想①|行き違う姉妹は増殖する世界で

 寡作な幻想小説家として知られる作者の連作長編『飛ぶ孔雀』をようやく読みました。

 あまりに凄い。凄すぎる。これはとんでもない小説を読んでいるのでは……と興奮で打ち震えながら読み進めたのですが、読了した今となっても未だ熱に浮かされたような状態です。

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あらすじ

 『飛ぶ孔雀』は、ⅠとⅡの2章構成になっています。Ⅰ「飛ぶ孔雀」は火が燃え難くなった世界、季節は夏。Ⅱ「不燃性について」では季節は移ろい秋に、ますます不燃となった世界。

 古式ゆかしい日本の情景を細やかに描出するⅠから、石が成長し空間が伸縮する架空の街で展開するⅡへの橋渡しとして、夢と<げんじつ>のあわいに存在するかのようなゲートル履きの男が狂言回しを務め、物語は進みます。

 

行き違う姉妹

 『飛ぶ孔雀』に登場する人物を正確に数え上げ、その行動を追跡することは容易ではないでしょう。女子高生は優男になるし、幼い娘は皺だらけの手を持つ老女となります。同じ名前を持つ者同士が同一人物である保証はないし、一人の人間が多役を演じることもあるのです。

 しかしながら、ここではタエとスワの姉妹に視点を据えてみましょう。

 Ⅰの狂乱の夜の川中島Q庭園で、行き違ってばかりであった姉妹のうち、草履をなくしたのは恋するのタエであり、火を絶やさなかったのは妹のスワでした。一転、芝が動き蛇が飛び世界が再編成された後、恋をしていた長女は胸の火を守りながら恋びとの帰りを待ち続け、一方で妹は靴を失くし、お互い姿形が変わった姉妹がようやく正面から相対することが叶うⅡの結びともに物語は幕を閉じます。すわなち、

Ⅰ、靴を失くした。火を絶やさなかった行き違う姉妹

Ⅱ、靴を失くした。火を守り続けた再開した姉妹

という構図です。始めと終わりで登場人物たちが存在する位相が微妙に互い違いになっているんですね。

 「微妙な具合に重なりながら左右に並んだ」シビレ山とシブレ山には、「鏡像かまるで写真のネガの裏焼き」のように反転し合った採石場と塵芥処理場があります。そこでは山頂は地下に通じ、地に潜ったはずの蛇は飛翔し天を向いた円錐帽の突端は地から顔を見せます。上下左右裏表に増殖した世界が「ばちんと音がたって、伸ばしたゴムが元に戻った」とき、果たして前と後ろ、始めと終わりで世界の姿は全く同一であるといえるでしょうか、あるいは。

 

劇中劇としての『飛ぶ孔雀』

 『飛ぶ孔雀』で語られるエピソードの全体像を克明に把握する作業は、登場人物を数え上げることが困難であるがゆえにますます混迷を極めます。加えて、いかにも寓意を含んでいそうな掌編群が意味するもの、トエ/タエ、スワ/サワ/ヒワ、ミツ/セツなどよく似た名前の人物ばかりが登場する訳とは……。必要な情報がすべて開示されているとは限らず、読者には明かされていない不可視の理が物言わず物語の舞台裏に横たわっています。

 そこで、例えば想像してみます。

 劇団・幻魔団が上演したのは「円錐帽の蛇女」の物語。修練ホテルでは「強盗(がんどう)返し」が頻繁に行われますが、これは場面転換を示す舞台用語。タロットカードのようなものを切りつめくりつ物語に筋書きと混乱を与えるのは大温室の女たちで、それはさながらひどく気まぐれな脚本家あるいは神といったところ。登場人物たちが入り乱れぶつかり合いながら繰り広げられるこの『飛ぶ孔雀』という物語は、まるで舞台上で進行する演劇のようではありませんか。

 役者は入れ替わり立ち代わり姿を変え役を変え、演劇は進みます。無論ハプニングも発生するし、打合せなしのアドリブも挿入されます。どこかで見たような姿が現れては消えていき、その時に脳裏に生まれる既視感は意図された必然の演出であるのか、それとも一人あたり多役の演じ分けを行う舞台の裏事情が透かし見えたためなのでしょうか。

 ただし、それを読者が知るすべはありません。舞台裏は緞帳の陰に隠れているもので、読者は舞台の上で起きた出来事しか知覚することができないからです。気が緩んだ大温室の女たちがまれにフレームインしてくる事態の除いて。だから『飛ぶ孔雀』はスポットライトが当たった劇中劇しか存在しない物語と言えるのではないでしょうか。

 

 同作者の「遠近法・補遺」という作品内で語られる詩編に以下のようなものがあります。

誰かが私に言ったのだ

世界は言葉でできている

この思想は、ネズミの言葉により世界に対する認知が豹変したBの「言葉が見る目を変えたのだ」という言葉にも受け継がれているように思われますが、いずれにせよ読者である我々は言葉で構築された世界のみを知覚するのです。

 ならば、今は幾何学的に増殖しぶつかり合いながら充溢していくイメージの奔流に快く身を任せ、幸せに酔っていたいと思います。

 

追記:まだまだ書き足らず後半に続きました↓

twilight-daniel.hatenablog.com