地下書庫巡礼記

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バルガス=リョサ「子犬たち」の感想|「普通」であるという特権

 長い間積読の山に埋もれさせていた『ラテンアメリカ五人集』なのですが、一たび読み始めるとめちゃくちゃ面白いですね。特にぐっときたのが、リョサの「子犬たち」でした。

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少年の悲劇

 「子犬たち」は、幼少期に狂暴な犬に襲われ、男性器を噛みちぎられてしまった少年クエリャルの一生を描いた物語です。

 幼少期に起きた悲劇的な事故の爪痕は時間が経つほど少年の人生に大きく影を落とし、元来「仲間としてはいい奴」と称される溌剌とした気立てのいい性格であったはずの彼の素行は悪化の一途をたどります。そして、嵐の中の危険な波乗りや酒ギャンブルへの耽溺、果ては命を顧みない無謀なカーチェイスへとエスカレートしていくのですが、刹那的で破滅的な享楽に身を投じることで得られる疑似体験としてのオーガズムののようでもあり、また喉から手が出るほど手に入れたくて一方で絶対に手に入れられないと分かってもいるものにせめてなんとか肉薄しようと試みる切実な衝動のようでもあります。

 手に入らないものほど希求する気持ちは大きくなるものですが、クエリャルが希求したものとは一体何だったのでしょうか。快楽、恋びと、理解者、伴侶。あるいは仲間たちが当然のように手にしていた「普通」——。

「普通」であるという特権

 歳を重ねライフステージを進めていく昔なじみの悪友たちは、放埓に身を委ねるクエリャルの素行を見かね、次第に距離をとるようになるのですが、この構図からもわかるように、クエリャル一個人の悲劇が浮き彫りにするのは、大多数の人間の「普通」によって運営される〈社会〉と、「普通」に合致しなかったがゆえの〈異端〉という構造でもあります。個人的には、この〈社会〉と〈異端〉という構造のあぶり出しの巧みさにかなりぐっときました。

 〈異端〉な人間が〈社会〉と共存することは (もちろん不可能ではありませんが)、「普通」の人間とは比べ物にならないほどの多量の時間や労力が必要となることは疑いようがありません。仲間たちに示す卑屈な言動の背後には、仲間たちが何の努力もなしに享受できている権利、何事も起きなければ自身も当然享受できるはずだった権利、これらの権利を唐突に訳もなく剥奪されたことへの行き場のない怒りと呪詛が渦巻いているかのよう見えます。幼き日に少年が失ったものとは、「普通」がドレスコードとなる〈社会〉への参加権、あるいは「普通」であるという特権でもあったのかもしれません。

 まとめ

 「子犬たち」は、少年一個人の悲劇から、〈社会〉と〈異端〉という構造のあぶり出しやってのけ、その手腕があまりに鮮やかだったのが印象的でした。日常的に横たわる暴力の気配と開放的な陽のエネルギーのない交ぜにしたような、ラテンアメリカの空気感も魅惑です。

 また、他収録作の「青い花束」も短いながらも良質なシュールレアリスムでとても面白かったです。