地下書庫巡礼記

どこかに眠る、懐かしの物語を探して

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『バグダードのフランケンシュタイン』アフマド・サアダーウィー|イラク社会への自己言及

バグダードフランケンシュタイン』を読みました。

帯には「中東×ディストピア×SF小説」とありますが、ディストピアやSFというよりは、「フランケンシュタインの怪物」を現代イラクに顕現させることでイラク社会の姿を描いた、イラク在住イラク人作家による社会派ファンタジーでしょうか。

 

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あらすじ

舞台はイラク戦争後まだなお不安定な情勢下にある2005年、イラクバグダード

自爆テロの犠牲者たちの肉片を継ぎはぎして創り出された、正統なる意味での「フランケンシュタインの怪物」が、現代イラクに誕生することで物語が動き始めます。

 

連日自爆テロの続く2005年のバグダード。古物商ハーディーは町で拾ってきた遺体のパーツを縫い繋ぎ、一人分の遺体を作り上げた。しかし翌朝遺体は忽然と消え、代わりに奇怪な殺人事件が次々と起こるようになる。そして恐怖に慄くハーディーのもとへ、ある夜「彼」が現れた。自らの創造主を殺しに――

不安と諦念、裏切りと奸計、喜びと哀しみ、すべてが混沌と化した街で、いったい何を正義と呼べるだろう?
国家と社会を痛烈に皮肉る、衝撃のエンタテインメント群像劇。

 

イラクという国と、「名無しさん」

日本から遠く離れた中東の一国、イラク

このイラクという国は、多数の宗教・宗派や民族が混在しており、その複雑な多様性ゆえに国家としての統一性を確立することに課題を抱えている。

そんな背景を念頭に置いた上で本書を眺めると、フランケンシュタインの怪物」の継ぎはぎのモチーフや「名無しさん」という呼称が、イラクという国の成り立ちや課題と呼応していることに合点がいきます(逆に、作品を解釈していく上では、この背景を前知識として持っておくことがほぼマストではないかと感じました。この辺りは、巻末の訳者あとがきが理解の助けになりました)。

イラクという国を象徴した「名無しさん」という存在、そして「名無しさん」が己の使命を果たすべく行動することが社会的混乱を招く。この寓意性が本書の土台になっていると感じます。

 

人間が抱える<内なる矛盾>

「名無しさん」という存在に関連して、作中では以下のようにいかにも示唆的な言及がされています。

外の世界では悪の殲滅を望んでいるのに、どうして我々の心の内に悪は生じてしまうのか。それは、我々が皆、なにがしかの割合で罪人だからである。心の中の闇は、外に知られている闇よりもはるかに暗くて深い

このような人間が抱える<内なる矛盾>が本書では数多く顔を出します。

「名無しさん」が抱える使命と生の矛盾、志を同じくするはずの集団・組織で勃発する内部抗争。七番通りの住人がそれぞれの人生で抱える二面性やダブルスタンダード、また彼らを含む民衆たちの「現実」の受け止め方と、それに対するアイロニカルな描写――。

大小さまざまの<内なる矛盾>は、人間の生とともにあります。

 

イラク社会への自己言及

治安維持にあたる当局組織の局長マジード准将が、「我々の使命は、(中略)内戦の勃発を阻止することにある」と語るシーンがありますが、そのような緊張感のある情勢下にあり、自国イラクの在り方への憂慮が渦巻いていたことは想像に難くありません。

そうした素地のもと、「名無しさん」という存在の寓意性も相まって、本書で描かれてきた幾多もの<内なる矛盾>は、個々人の内実を抽象化しつつ帰納的に収斂していき、最終的にはイラク社会への自己言及という形へ編みあがるようにも思えます。

その意味で、本書は現代イラク社会への何重にもわたる自己言及を重ねた寓話であると言えるのではないでしょうか。

 

最後に

狂言回しの役割ともいえるジャーナリストのマフムードの受難の物語は、曖昧ながらもおぼろげな成功への期待を含みつつ締めくくられています。これもまた現代イラク社会への自己言及であるとするならば、すなわち作者が祈るイラクという国の未来への所感であるのかもしれませんね。