地下書庫巡礼記

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『スクールボーイ閣下』ジョン・ル・カレ|名も無き者たちに捧げるは

ジョン・ル・カレ著『スクールボーイ閣下』を読んだ。

英国情報部の中枢部に潜り込んだ二重スパイを追う『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』の続編であり、〈スマイリー三部作〉の第二作目にあたる。

優れた観察眼を通じて描かれる泥臭い人間ドラマに加えて、今回はなんと70年代当時の緊迫したアジア情勢下をめぐる冒険劇も味わえる。「こんなに面白い小説を一気に味わってしまっていいのか!?」と思えるような贅沢な作品だった。

 

 

 

あらすじ

東西冷戦下にある1970年代。組織中枢幹部による裏切りが発覚したことで、英国情報部(通称〈サーカス〉)は壊滅的な打撃を受けていた。

事件後、チーフに就任したスマイリーは組織再建に奮闘する。そんな折、ソ連の策略が英国から遠く離れたアジアの地で密かに進行していることが判明する。

アジアでの現地調査に向け、スマイリーは臨時工作員ジェリー・ウェスタビーを招集する。〈サーカス〉の威信回復を狙った渾身の一手が、香港へ放たれた。

 

ウェスタビーの冒険と、スマイリーのジレンマ

香港にて:ウェスタビーの冒険

英国ロンドンと、当時英領であった香港。二都市でのストーリーが平行して進む。

ロンドンパートでは、スマイリーをはじめとした〈サーカス〉の面々による地道で泥臭い探索行が、一方で香港パートでは、ロンドンの本部から派遣されたウェスタビーを主人公に据えた冒険が描かれる。

題名の「スクールボーイ閣下」とはまさにウェスタビーを称しているのだが、本作で彼が繰り広げる冒険は、シリーズにおいて異色の印象がある。西側諸国にとって中国本土との唯一の窓口となっていたらしい当時の香港をはじめ、混乱期にあったカンボジアベトナムラオスといった東南アジア諸国をも転々とめぐり、アクションあり派手な爆発 (!) ありの躍動的でスリリングな展開をみせるのだ。

冷戦下にあり諜報が主戦場であった米ソ欧州の状況に対して、ウェスタビーが繰り広げるアジアでの冒険譚は、戦争・紛争による直截的で身近に迫った暴力のイメージを強く感じさせる。

このように可視化された対立や暴力の可能性を前にして、有事の際に真っ先に危険に晒される存在もまた明確になる。その存在とは、意思決定権をもつ組織の中枢ではなく、巨大な力に翻弄されるしかない非力な末端の人間だ。市井の無邪気な凡百もの〈名も無き者〉たちウェスタビーが作戦を通して出会うのは、そのような人々である。

じっさいに (※祖国に) 借りを払うのは、いつもおれたちとはちがうあわれな連中なんだぜ

と、ウェスタビーは内心スマイリーへと語りかける。作戦の犠牲になった者たちの名残を、表情を、体温を、確かに脳裏に蘇らせながら。

終盤、ウェスタビーは自身の信念に従い、独断で行動を起こす。この時の彼を駆り立てたものの正体は、単なる恋情の狂おしさというより、所詮組織の末端でしかないという危うい立場への同化と同情であるだろう。そしてそれは、自身にも降りかかりうる不幸への抗い、その意思表明とも受け取れる。

 

ロンドンにて:指導者としてのジレンマ

では、本国ロンドンにおいて、〈サーカス〉のチーフたるスマイリーの胸中はどうか。

作戦の指揮を執る立場にあるスマイリーは、ウェスタビーの独断に対して怒りの感情を向けて当然である。当然なのだが、実際にはそうはならず、意外なことにウェスタビーに対していっそ一定の理解すら見せる。

これは、ウェスタビーの奔放さを自身の妻アンに重ね合わせた上で行き着いた複雑な感情でもあるだろうし、またスマイリーにとっては、自身が指揮官として背負う責務の重圧以上に、末端の工作員たちに対する負い目が大きかった、ということでもあるように思える。

より良くあるための大義を成し遂げるためには、本質的に犠牲が必要であり、その場合真っ先に負担を被ることになるのは非力な者たちである、という道義上のジレンマである。

側近であるギラムはスマイリーのことを非常によく観察しており、この点についても、度々スマイリーの胸中を推測する場面が描かれている (余談だが、前作でスマイリーもまた事につけて元上司である故コントロールの言動をよく思い浮かべていた)。

いつかジョージ (※スマイリーのこと) の身に起きることは、きっとふたつにひとつだ。気にすることをやめてしまうか、パラドックスにおしつぶされてしまうかだ

また、ある時には、スマイリー自身が、

人間性を擁護するため非人間的になり、同情心を擁護するため冷酷になる

と吐露していた、というエピソードがギラムの回想を通じて語られる。

ウェスタビー曰く「どこか道を誤った聖職者みたいなところ」があると表現されるスマイリーだが、ある意味で指導者としては不向きとも思えるほどの繊細さと共感力の強さを持つ。これこそがスマイリーの人間的魅力の一つであり、またスマイリー自身を破滅に導きかねない致命的な二律背反なのである。

 

〈名も無き者〉たちに捧げるは

ロンドンと香港の地理的・時代背景上の構図も、作品テーマを効果的に描出するための一助となっているだろう。

ロンドンと香港の対比軸は、本国英国とその直轄領という主従の構図でもあり、〈サーカス〉本部を置く中枢と作戦の前線という構図でもある。そしてこの構図は、指導者であるスマイリーと現地工作員であるウェスタビーの構図へそのまま引き継がれていく。ウェスタビーにとって、スマイリーはまたかつての師でもある。

いくつもの相似形が織り込まれたル・カレの作品は、物語の構造一つ取っても美しい。仔細に眺めれば眺めるほど、この幾何学的ともいえる精緻さに驚かされる。

そして忘れてはならないのが、「スクールボーイ閣下」ことジェリー・ウェスタビーという人物の形象だ。本来ならば、作戦の一工作員に過ぎないウェスタビーが、名を与えられ、主役級の役割を担い、一つの物語になる。その意味は?

終盤、ウェスタビー一個人の輪郭は薄れ、その人物像は象徴化されていく。ウェスタビーから透かし見えるのは、これまで祖国に組織に人知れず尽くしていった、数えきれないほどの〈名もなき者〉たちの存在だ。スマイリーが新たにまた一つ背負った小さな心の傷と、冒頭であらかじめ宣言されていたギラムの頑なな挙動の真意をようやく理解した瞬間、作者から〈名も無き者〉たちに向けた静かな敬意と哀惜をそこにじわりと感じ取ったのだった。

 

さいごに

スマイリーが胸中に抱く指導者としてのジレンマ、その苦渋の根深さがなんとも印象的だった。そして、このテーマを導き出すための物語の構造的な美しさといったら。前作から引き続き、優れた観察眼を通じて描かれる人間ドラマ要素に加えて、当時の緊迫したアジア情勢の横断的な描写あたりもかなり興味深い。なんとも贅沢な作品である。

次はついに〈スマイリー三部作〉の第三作目。楽しみだ。

 

 

▼〈スマイリー三部作〉第一作目『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』

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