地下書庫巡礼記

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『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』ジョン・ル・カレ|裏切り者探し、大人たちの世界と少年

ジョン・ル・カレ著『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』を読んだ。

東西冷戦時代を背景にしたスパイ小説で、2011年には「裏切りのサーカス (原題 ”Tinker Tailor Solder Spy”)」として映画化されている。

先日、この映画「裏切りのサーカス」を観たのだが、人間ドラマの湿っぽさを整然とスマートな話運びで描いているのがとても気に入り、そこから原作である本書にも手を伸ばした。

 

 

 

あらすじ

1970年代、東西冷戦下の英国。ソ連を中心とする東側諸国と米国を中心とする西側諸国が世界的な対立の情勢にあり、水面下での国家間の諜報活動が横行していた。

そんな折、英国情報部の中枢幹部層に潜りこんだ二重スパイの存在が明らかとなる。元情報部員スマイリーによる裏切り者探しが始まる。

 

人間ドラマとしての普遍性

映画「裏切りのサーカス」を観て

まず映画の話をしたい。

映画「裏切りのサーカス」を観たときのファーストインプレッションは、「痺れる!」だった。説明のための情報を削ぎ落し、その上でシーン間を繋ぐ情報や感情の動線が最適化されている、その計算されたスマートな話運びに痺れた。

一方で物語の内容は、薄暗くどこか湿っぽい。人間関係には閉鎖感が漂い、意味深な目配せや疑心暗鬼が横行している。そのような環境で、登場人物たちは、人の情に足元を掬われもすれば、まれに人の情に何かの救いを見出すこともある。寂寞とした思いでエンディングを迎えた時、東西冷戦下の国家間のイデオロギー対立という時代背景は遠景となり、この物語の本質は徹頭徹尾人間ドラマだったと理解した。

そして原作では、この人間ドラマとしての側面がより綿密に描かれていると感じる。

 

人間ドラマとしての普遍性

そもそも「裏切り者探し」という物語の主たる動機が人間ドラマと相性がいい。加えて、リフレインされる「人間は他人の状況に自分を投影したがる」という心理もまた人間ドラマとしての普遍性が高い。

これは例えば、整合性を保ちつつ嘘を成立させるためのスパイとしての仕草や、主人公スマイリーと宿敵カーラの因縁のエピソードとして表れる。物語の中に散りばめられた大小種々のこれらのエピソードが、人間の生態に対する一つの示唆という形で収斂していくのも物語として美しい。

スマイリーをはじめ、英国情報部の面々、あるいは裏切り者の候補者として名が挙がる人物たちにも、それぞれの立場、事情、そして策略があり、それゆえにゼロヒャクでは割り切れない感情のグラデーションやアンビバレンツを含む。巧みな人間観察により描かれるこれらの心情の揺れや葛藤には、どこか共感できる感情や同情できる余地があり、スパイという「プロフェッショナル」な冷徹さとの対比で、血の通った「人間らしさ」が際立つ心憎いプロットだと感じた。

 

大人たちの世界と少年

作中で描かれたエピソードの中で最も心惹かれたのが、ビル・ローチという一人の少年と、物語のキーマンでもあるジム・プリドーとの交流についてだ。

 

ビル・ローチという少年

物語の冒頭で登場するビル・ローチ少年は、「まるまると太った喘息持ちの子」であり、家庭環境の不和から孤独を抱え、その繊細な性格ゆえに他者の言動・感情に対して優れた観察眼を持つ、と描写される。

その持ち前の観察力により、ローチ少年は、彼の学校へ新任教師として赴任してきたジム・プリドーの孤独を敏感に感じ取る。ジムの印象について、ローチ少年は、

うまく説明できないのだが、なんだかジムが地球の表面に危なっかしく生きていて、いまにも無限の空間に落ちてしまうような感じを持っていた。

と、危うささえもにじむ孤高のイメージを語る。

少年のこの憂慮は、彼がジムに向ける憧れと共感の表れでもあるのだが、少年が示すこの孤独への共感が胸に迫る思いがした。孤独から解き放たれるために望む繋がりではなく、孤独であるがゆえに生まれる暗黙の裡の連帯感とでもいうような、孤独を介した繋がりだ。

 

大人たちの世界

ローチ少年のジムへ向けた思い、ジムの力になりたいという思いは、しかしここで行き場を失う。大人であるジムと、大人の生き方の何たるかを知らない子どもの自分という懸隔を前にして、以後この思いはただ少年の胸中に留まり続けることになる。

一方で、ローチ少年が夢想する大人たちの世界でも、愛は忠義は信望は、いずれも一筋縄ではいかない形として描かれる。

スマイリーとその妻アンの不義理を含んだ夫婦関係をはじめ、相棒ギラムとその恋人の間に漂う不実の気配 (映画版では、不本意な決断を下したことに対する苦悩)、工作員ターの「トラブル気質」と称されるある種の衝動性、元上司コントロールの身の内に巣くう疑心暗鬼の闇。そして、ジム・プリドーが抱える孤独、あるいは大いなる友愛とその行く末も。

スマイリーが終盤、「人と人のあいだに、なんらかの自己欺瞞を支えにせぬ愛情なんてあるのだろうか」と内心ひとりごつのも、人間関係のままならなさを総じて言い表したようで印象的な一文だった。

 

「裏切り者探し」の終幕と救い

「裏切り者探し」という物語である以上、いずれにせよ爽快感のある結末を迎えることはない。

その上で、物語が悲惨になりすぎないためのバランス役は、飄々として悪びれない憎めない性格のターの存在に感じる所があった。ギラムをはじめ関係者たちは、ターの奔放な言動には暴発的に怒りをあらわにするのに対し、終幕を迎え事の顛末がひとたび明らかになると、みな口をつぐみ、鬱々とした歯切れの悪さとうら寂しさだけが残るのも対照的な描かれ方だったと思う。

そしてこのバランス役としてはもう一人、ローチ少年を挙げたい。大人たちの世界に渦巻くままならなさの中で、この少年の存在は物語をいくらか明るい色調にしているだろう。物語の終盤、この少年が感じ取ったものの意味を受け、そこで改めて少年が示す孤独への共感、孤独を介した繋がりに、救いにも似た感情を抱いた。思えば、物語がローチ少年のエピソードによって始まり、ローチ少年のエピソードによって幕を閉じるのも、この物語に相応しい気もする。

 

さいごに

東西冷戦下の国家間のイデオロギー対立という時代背景がありつつも、人間ドラマとしての普遍性が高く、心情の揺れや葛藤、アンビバレンツが胸に迫る、いい作品だった。

スマイリー三部作としては、ここから『スクールボーイ閣下』『スマイリーと仲間たち』へと続く。登場人物たちや組織の行く末はどうなるんだ? と気になるところなので、こちらも近いうちに読み進めたい。

 

 
 
▼〈スマイリー三部作〉第二作目『スクールボーイ閣下』