地下書庫巡礼記

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『シオンズ・フィクション イスラエルSF傑作選』の感想|放浪の末の豊かなるフィクション

 イスラエルSFアンソロジーの『シオンズ・フィクション』を読みました。

 本書は、「イスラエル思弁小説の宝庫 ( A Treasury of Israeli Speculative Literature)」という副題がついており、「思弁小説(スペキュラティブティブ・フィクション、Speculative Fiction)」のカテゴリーで、狭義のSFに留まらずに比較的幅広くセレクションされたアンソロジーです。

 

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 中でも特に気に入ったのが下記の作品。

「完璧な娘」ガイ・ハソン

 人の心を読むテレパスの能力を持つ主人公が、とある少女の遺体を通してテレパス能力で生前の記憶を探り、少女の人物像に迫っていく物語。

 ミステリー要素もありつつ、多感な時期の自我確立までのプロセスを描いたビルドゥングスロマンともいえ、ラストは高負荷の運動後のよう清々しさの中、一皮剥けた主人公の力強い宣言と共に幕を閉じます。

 ところで物語の主軸となる亡き少女は、実は自他境界の線引きが曖昧であったがゆえに問題を抱えていたのですが、主人公もまたこの少女の人物像に肉薄していく過程で、テレパス能力ゆえに自身の中に流入してくる他者たる少女の感情に引きずられ、翻弄されていきます。この辺りの憑依的な表現インパクトが強いですね。そして環境に揉まれながらも、やがて主人公は自他を切り分けられる視点を獲得し自己定義を行っていくという流れなのですが、少女と主人公の双方で「自他境界」のモチーフが展開される多層構造となっており、その点でも非常に作りこまれており読み応えがありました。

 

「ろくでもない秋」ニタイ・ペレツ

 ルームメイトはカルト宗教の教祖となり、驢馬は言葉を話し出し、街にはUFOが飛来する。そんな、とある秋。

 非日常による日常への侵略は唐突に始まり、一か月後、潮が引いたように非日常が去っていき急転直下の勢いで日常が戻る。物語の始点とその一カ月後である終点だけを観測すると日常の脈絡内での経過のようでもあり、その実ぶっ飛んでいる紆余曲折の道程を軽妙なマジックリアリズムで描いた、陰鬱でいて陽気なような飄々とした一作です。

 そして本作では、兎にも角にも驢馬トニーの存在感が光ります。めちゃくちゃいいヤツ。

 

バックグラウンドを透かし見る

 「信心者たち」や「アレクサンドリアを焼く」は、幻想小説やSFとして面白く、かつユダヤの宗教観やディアスポラ(流離)の歴史というバックグラウンドを感じ取ることができた作品でもありました。

  • 「信心者たち」
    • 戒律を犯した者の内臓を貪り喰う「ひどい性格をした」残酷な<神>によって監視支配されたディストピアで、神殺しに挑む幻想小説
  • アレクサンドリアを焼く」
    • 人類のあらゆる文化・文明を蓄積してきた亜空間「図書館」の出現に端を発し、不屈の精神で人類の存亡を掛けたミッションに赴くSF

 

まとめ

 本書を手に取った時は、『シオンズ・フィクション』の"シオンズ"とはなんぞや?というところから始まり、どうやら"Zion’s"の表記で、Zionはイスラエルの地を象徴して用いられるらしいぞ……くらいの温度感だったのですが、読み終わった後はかなりの満足感です。「完璧な娘」「ろくでもない秋」は特に面白かった! 中には終盤の展開の詰め方や伏線回収の甘さで課題要素を感じる作品もありましたが、アンソロジーであることを踏まえるとトータルでは十分すぎるほどでしょう。

 イスラエル文学界では、古くは神秘を扱った書である旧約聖書を起源に持ちつつも、長年リアリズムが席巻し、近年になってようやく想像的なフィクション再興のムーブメントが起こっていったようで、このあたりの経緯についても編者著の巻末「イスラエスSFの歴史について」で詳述されています。原書がアメリカの出版社から英語で刊行された事情もあり、界隈の世情に疎いであろう読者へのフォローも手厚いです。

 

 

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