地下書庫巡礼記

どこかに眠る、懐かしの物語を探して

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戸川昌子『緋の堕胎』

 シャンソン歌手としても活動していた作者による官能ミステリ短編集。

 妖しい筆致で物語られるミステリ、幻想、奇想がバリエーション豊かに収録されています。

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 以下、特に気に入った二作について。

「緋の堕胎」

 堕胎専門医院で起こった失踪事件を描いた一作。嵐のような非日常が過ぎ去れば、今日もまたビールを煽り枝豆を食らい女の膝の間に顔を埋め思考に蓋をする……たとえ人間が変わったとしても行動は変わらず繰り返され、不穏な重低音のように流れる堕胎というモチーフと共鳴させながら、しがらみを断ち切ることができない人間の愚かさやその成れの果ての姿を切れ味鋭く浮き彫りにした秀作です。

 

「黄色い吸血鬼」

 青少年たちが集う共同宿舎で、夜な夜な吸血鬼から血を吸われ、吸血鬼の助手からもいたずらされる(「白い血を吸われる」と表現されます)生活を送る、とある少年の巡り合わせを描いた退廃的で幻想小説色の強い一作。魚眼レンズが結ぶ像のように極度に背景の焦点がぼかされ輪郭が判然としない靄がかった語りは、幼い欲望の松明だけを頼りに暗闇を歩いているかのように危うげです。そして、ついに少年の世界へ容赦ない日の光が当てられたとき、魅惑的に息づいていた夢まぼろしが霧散していったあとに残る光と闇のコントラストはめまいがするほど強烈です。

 

まとめ

 「官能ミステリ」と銘打たれてはいるものの、全収録作を通じて扇情的な色合いは薄く、むしろ官能に対するアイロニックな感性を立脚点として、生殖と官能が一義的に結びつくわけではないからこそ生じうる人間の哀歓を描くことに主軸があるように感じました。

 本作がとても面白かったので他作品も読んでみたいです。